「いってらっしゃい」
玄関に立って、ナオさんを見送る。
「いってきます!」
行って来ますのキスが、頬にちゅっと落とされて、
ナオさんは元気よく学校に出かけていく。
僕はナオさんが見えなくなるまで見送ってから、
部屋の中に引っ込んだ。
「ふう・・・・」
ナオさんが居なくなった部屋は、急に広くなった気がする。
僕は小さく溜息を吐いた。
テーブルに肘をついて、ベランダを眺める。
朝ご飯の後に、ナオさんと一緒に干した洗濯物が、
春風にひらひらと揺れている。
退屈だなあ・・・
僕は床にごろりと寝転がった。
昨日、掃除はしちゃったし、洗濯だって済ませちゃったし・・。
ナオさんは3時頃には帰るとゆってたから、夕飯の準備は
それからで良いし、お昼はテキトウに食べれば良いし・・。
ホントにすることが無い・・・。
僕はヒマを持て余して、床をごろごろ転がった。
ナオさんと二人で居るときは、一瞬だって退屈になんか
ならないのになあ。
ついさっき別れたばっかりなのに、僕はもう、ナオさんの事を
恋しがっていた。
前はこんな風に、誰かを恋しがったりしなかったのに。
寝転がって、畳の目を見つめながら、自分の変化にちょっと
笑った。
僕はひとりっこな上に、両親も忙しかったから、割に一人で
居ることが多かった。
そのせいか、僕は一人で居るのが平気、というより大好きで、
一人で居て、さみしいと思ったり、人恋しくなったりすること
なんて無かったのに、ナオさんと知り合ってからは、すっかり
変わってしまった。
一人で居ると、すぐにナオさんの事を考えてしまう。
いつだってナオさんに会いたくて、ナオさんに会えないと、
さみしくてしょうがない。
いつの間に、こんなにさみしんぼになったんだろ?
天井を見上げて思う。
ナオさんがあんまり僕を甘やかすから、僕はどんどんナオさんに
依存してしまって、すっかり子どもにかえった気がする。
早く、かえってこないかな・・・。
僕はゆっくりと目を閉じた。
ナオさんに、早く会いたい。

目を覚ましたら2時だった。
ぼーっとして時計を見て、それから慌てて飛び起きた。
お昼御飯も食べずに、すっかり寝入ってしまっていて、
ほっぺたには畳のあとがバッチリ付いている。
寝起きではっきりしない頭のまま、洗濯物を取り込んで、
ぼんやりと畳む。
僕のパジャマ。ナオさんのシャツ。枕カバー。ナオさんの靴下。
僕のブリーフ。ナオさんのトランクス。僕のエプロン。ナオさんの
Tシャツ。二人のシーツ。
順番に畳んでいると、だんだん頭がはっきりしてきた。
もうすぐナオさんが帰ってくるはず。
そう考えるだけでうきうきする。
僕は洗濯物を片づけてしまうと、エプロンをして台所に立った。

「たーだいまー!」
ドアを勢いよく開けて、ナオさんが帰ってきた。
「ナオさん!おかえりなさーい!」
台所に居た僕は、玄関に飛んでいってナオさんに飛びつく。
ナオさんは笑いながら、僕をぎゅうぎゅう抱きしめて、髪や額に
いくつもキスを落としてくれた。
「淋しかった?」
僕の顔をのぞき込む、優しい瞳。
「うん。すっごく」
僕は頷いてこう云うと、もう一度ナオさんに抱きついた。
ナオさんの胸の中はすごく暖かくて、そして春の匂いがする。
僕は頬を擦り寄せて、うっとりと目を閉じた。
髪を撫でる、ナオさんの手が気持ち良い。
ずっとこうして居たかったけど、玄関だから諦めて、僕は名残
惜しげに身体を離した。
「今日の夕飯は何が食べたい?」
ナオさんのかばんを受け取りながら、靴を脱いでいるナオさんに
聞く。
「そうやねえ・・・・」
真剣なナオさんの顔。
「今日はなんだか和食な感じ」
和食かあ。何が良いかなあ。
冷蔵庫の前にしゃがみこんで、中をチェックする。
「今日はにんじんごはん食べたいなあ」
洗面所から、声がする。
にんじん・・・あったかな?
野菜室をのぞき込む。
洗面所で、派手な音を立ててうがい手洗いしていたナオさんが
いつの間にか、後ろに来ていた。
「にんじん無いから、買い物行こう?」
下からナオさんを見上げる。
「ん!んじゃ、出掛けようか」
ナオさんに手を引っ張られて立ち上がると、僕らは準備して
買い物に出掛けた。

スーパーへ行って買い物を済ませて、家へ帰ってくる。
ナオさんと一緒だというだけで、日常の一つ一つの出来事が、
楽しくて嬉しくてしょうがない。
手伝うと云ってくれたナオさんを、リビングに押しやって、一人で
夕飯の準備をする。
それすらも、楽しくてしょうがない。
後ろを向くと、ナオさんが居る。
この、なんとも言えない安心感。
ナオさんは、机やら床やらにプリントを散乱させて、なにやら真剣
にやっている。
3月末までに、論文を書くと云っていたから、きっとそれだろう。
僕は人参ご飯を炊飯器にセットしながら、しきりに耳たぶを触って
いるナオさんを見つめた。
考え込んでいるときに、耳たぶを触ったり引っ張ったりするのは
ナオさんの癖で、そのせいかナオさんの耳たぶはとても柔らかい。
僕はナオさんの耳が大好きで、この柔らかい耳たぶを、時折甘く
噛ませて貰う。
僕はふにふにした弾力のあるナオさんの耳たぶの事を考えて、
一人で赤くなると、あさりの入ったおみそしるの準備を始めた。
これ以上、ナオさんの事を考えてたら、ヘンな気持ちになりそうで。
僕は気持ちを切り替えて、料理へと意識を集中させた。

人参ご飯とあさりのみそ汁、肉だんごにかぼちゃの煮付け。
今日の夕御飯のメニュー。
もうすっかり、ナオさんと僕の胃袋に収まって、見る影も無い。
「美味しかったね〜」
二人で並んで食器を洗う。
「うん。美味しかった」
今日はお昼御飯を食べていないせいもあって、僕も随分たくさん
食べた。
あまったらおにぎりにして冷凍しておこうと思った人参ごはんも、
結局二人で平らげてしまった。
お腹がいっぱいで幸せに苦しい。
食器を綺麗に洗ったあと、僕らはのんびりお茶を飲んで話をした。
4月から、僕は高校2年生。
ナオさんは大学3年生。
「僕、高2になったら、もっと勉強頑張って、ナオさんと同じ大学
入ろうかなあ」
お茶を飲みながら、ぼんやりと呟く。
ナオさんと同じ大学に入ったって、僕が入る頃にはナオさんが卒業
してしまうから、一緒には通えないけれど、なんとなく同じ大学に
通ってみたかった。
「ん?まこちゃんウチの大学来るん?」
抱き寄せられるままに、ナオさんに身体を預ける。
「そしたら、一緒に通えるねえ」
ナオさんは云いながら、そっと僕の髪を撫でた。
「でも、僕が入る頃にはナオさんは卒業しちゃうじゃない」
ナオさんの顔をちょっと見上げる。
「僕は大学院行くもん。今度の論文通ったら、4年飛び級して、
院に行けるし」
楽しげな目をして僕の顔をのぞき込む。
「え?そうなの?」
そんな事は初耳だ。
僕はちょっとびっくりして、身体を起こすと、ナオさんの膝を跨ぐように
して、ナオさんと向かいあった。
「そう。僕はドクター取るから。少なくともあと4年は、あそこに居るよ」
向かい合った僕の顔を、ナオさんがのぞき込む。
僕は手を伸ばしてナオさんの首にしがみついた。
「じゃあ、僕頑張ってみる」
ナオさんの大学は相当にレベルが高いから、ホントに頑張らないと
今の僕では到底無理だ。
でも、ナオさんと一緒に大学に通えるんだ・・・と思ったら、むくむく
やる気が湧いてきた。
「ん・・・。勉強なら僕が教えたげるから」
ナオさんの手が、優しく背中を撫でる。
僕はナオさんの耳に唇を寄せると、そっと歯を立ててみた。
ナオさんが僅かに身じろぎする。
「大好きだよ」
小さな声で、云ってみる。
ひみつを耳に、囁くように。

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