「なんだこの解き方は!!」 僕が床に落としたプリントを拾い上げたその人は、プリントを眺めるなり
そういって、僕の前の席に腰を下ろした。
「お前、ちゃんと授業聞いてるん?ドンくさい解き方しやがって」
目の前にプリントを突きつけられる。
「いいか、一度しか云わないからよく聞けよ?まず・・・」
僕は訳も分からずに何処の誰だか分からない人に、数学の宿題を
教えて貰う羽目になった。
これが、運命の出会いってヤツで・・・・。
場所は駅前、マックの2階。
時は夕暮れ。秋の初め。
この日たまたまこんな場所で、宿題をやっていたことを、
あとになって感謝してみたり、後悔してみたり・・・・。
「も、全部分かったか?質問は?」
その人は、僕がどんくさい解き方をしていた問題だけでなく、
プリント全部の問題を懇切丁寧に解説してくれた。
が、その人は僕が計算ミスをしたり、教えて貰ったところを間違えたり
すると、容赦なく罵倒したりもしたので、僕はその度に
「一体なんなんだコイツ?」
という思いを禁じ得なかった。
「質問・・・・ていうか、あの、誰ですか?」
質問は?と聞かれたので恐る恐るこう聞いてみると
「あ?僕は通りすがりのモンだ。気にすんな」
と、その人はあっさりと云い放った。
通りすがりって・・・
フツウ、通りすがりの人っていきなり数学教えたりしないと思うけど・・
僕がごちゃごちゃ考えていると、
「んじゃな」
その人は立ち上がり、手をひらひらさせて行こうとした。
「待って!!」
その人を引き留めてしまった理由は今でもよく分からない。
教えて貰ったからお礼がしたかった、というのは後でくっつけた理由で、
そのときの僕の気持ちは、こんな理由じゃなかった気がする。
とにかく僕は立ち上がると、大声で呼んでしまった。
引き留めたはいいが、
「ん?」
きょとんとした顔で振り向かれて、僕は焦った。
呼び止めてはみたものの、先の事なんか考えてもいなくて・・・。
「あ、あの・・・」
ぼくがおたおたしていると、その人は笑いながら言った。
「礼には及ばねえぞ?せめてお名前だけっていうのも却下だ。」
・・・・・・
考えていたことを全部先回りで言われてしまって、僕はいよいよ困った。
「で、でも・・・」
僕が言いかけると、
「どうしても礼がしたいっつうならついてきな」
その人はそう言うと、僕のトレイをさっさと片づけて
階段を下りていってしまった。
僕はあわてて教科書やらプリントやらを掴んで、鞄につっこみながら
その人の後を追った。
その人は僕を待つ様子はなく、
どんどん先に立って早足で歩いていってしまって、
ちびの僕には追いつくのがやっとだ。
2.3分歩いて、小さなマンションにたどり着くと、その人は
僕を振り返って言った。
「ここ、僕んち」
・・・・・僕んちって言われても・・・・
僕は黙って頷く。
その人はそのままマンションのエントランスを抜けると
1階の部屋の鍵をあけた。
「入って」
僕はこの時すでに、なんでこんな見ず知らずの人に付いてきて、
あげくに部屋に入ろうとしてるんだろう?とかなり後悔していたのだが、
今更帰ります、ともいえなくて、おそるおそる部屋に入った。
ワンルームらしい部屋の入り口にたっていると、後ろから手が伸ばされて
部屋の電気が付けられた。
・・・・・唖然
部屋の中はすさまじい散らかりようで、僕は仰天してしまった。
部屋中に散乱した、本・プリント・衣服・ゴミ・そのほかいろいろ訳の
分からないものの山。
ふと左手をみると、元来キッチンとして使われるであろう場所が
ゴミ集積場と化していた。
口を開けてなにもいえないでいる僕に向かって、その人は言ってのけた。
「礼がしたいっつうなら、ココ片づけて?」
にっこり笑顔で言われて、僕は拒否することもできずに
鞄を部屋の隅に置いてブレザーを脱ぐと部屋の掃除を始めた。
掃除には3時間掛かった。
生まれてこのかた、こんなに一生懸命掃除をした事はない。
ゴミをまとめ、洗濯物を洗濯機にほおりこみ、本やプリントやら
がらくたやらをひとまとめにし、台所で洗い物もして・・・・
僕が必死で掃除をしている間、僕をココに連れてきた件の人物は
まるで手伝う様子はなく、部屋の片隅に2台置いてあるパソコンの
前に陣取って、なにやらやりながら、僕にいろいろ聞いてきた。
「お前、名前は?」
「スズムラマコです」
「スズムラマコ?漢字は?」
「鳴る鈴に市町村の村で鈴村、真実の真、一字でまこ」
「真実の真だったら、まこと、じゃ無いん?」
「なぜだか、とはなくて、まこなんです」
「ふうん」
「いくつだ?」
「15歳。高1です」
歳を聞かれて、僕がこう答えるとその人は読み耽っていた本から
顔を上げて素っ頓狂な声で云った。
「こういち!!?中坊かと思った!ちっちぇえなあ!」
・・・・・・たしかに162pしかないけど、そんなに驚かれる程
ちっちゃいんだろうか・・・・
僕はかなりがっくりした。
名前と歳の他にも、いろんな事を聞かれて・・・学校名だとか、住んでる
トコだとか、好きな教科、嫌いな教科、食べ物の好き嫌い、特技、趣味、
その他もろもろ。
お見合いの席だって、こうは詮索されないだろうってくらいに根ほり葉ほり
聞かれて、僕には質問する隙もないくらいだった。
部屋の掃除が半ば済んだころ、僕への質問はやっと終わって、今度は
一方的に自己紹介が始まった。
「お前の事はようく分かった。んじゃ、次僕ね。」
相変わらずパソコンの画面から目を離さずに喋り始める。
「僕はエサキナオ。江戸の江に長崎の崎。直角の直でなお。
歳は20歳。N大理工学部数学科2年。頭脳明晰。趣味は数学と折り紙。
特技は計算。将来の夢は数学者。好きな食べ物はとりのからあげと餃子。
嫌いな食べ物は生トマト。以上」
立て板に水とはまさにこの事で、わずか数秒で語られた自己紹介に
僕が呆然としていると、エサキナオとやら言う人はくるりと振り返って
云った。
「なにか質問は?」
あまり回転が早いとは云えない僕の脳は、一度に詰め込まれた情報を
整理するのでいっぱいいっぱいで、とても質問なんか思いつかない。
「・・・・ありません」
「なら良し!」
彼は再びめまぐるしく動いているパソコンの画面に向き直ってしまった
ので、僕はもくもくと掃除を続けるしかなかった。
部屋の中にはゴミなのかゴミじゃないのか分からないモノがたくさん
あったので、僕はいちいちそれを確認しなくてはいけなくて、掃除には
手間が掛かった。
ようやく、人が住む部屋としてフツウである、という状態になった頃には
時計の針は8時を回っていて、僕は慌てた。
「あの、もうそろそろ僕帰らないと・・・・」
相変わらずパソコン画面と向き合っている背中に声を掛けると、
江崎さんはくるりと振り返り、部屋を眺めて驚いたような声をあげた。
「うわ!部屋が片づいてるやん!!」
・・・・・片づけろってゆったのは、江崎さんですよ?
こう云いたいのをぐっと我慢して、床に置いてあったブレザーを羽織る。
「あの、僕もう帰ります。今日はどうもありがとうございました」
こう云って頭を下げると、江崎さんはがっかりしたような顔で僕の顔を
のぞき込んだ。
「も、帰っちゃうん?」
「はい。だって、もう8時だし・・・」
「まだええやん。台所もキレイにして貰った事やし、夕飯一緒に食べへん?」
誘われて、ちょっと気持ちが揺らいだ。
「家に電話してみます」
僕がそういうと、江崎さんは嬉しそうに頷いた。
それから1時間後。
僕は台所に立っていた。
まな板の上でネギを刻みながら、本日10回目の
「一体僕はなにやってるんだろう?」な気持ちに襲われる。
家に電話を掛けて、友達の家で夕飯を食べて行くから遅くなることを伝え、
夕飯が一緒に食べられることを江崎さんに告げると、彼はいきなりこう云った。
「まこちゃん、料理できるやろ?」
断定するような口振りで云われて、思わず頷く。
実際、僕の母は忙しい人だったから、小さい頃から家事の手伝いをよくしていた
ので、料理はできる。
「んじゃ、今日の夕飯中華にして?」
満面の笑顔を共に、財布を渡される。
「・・・・・・・・は?」
僕はまったく状況が飲み込めずに、間抜け顔で聞き返した。
「だから、夕飯はまこちゃんが作って?冷蔵庫カラやから、駅前のスーパーで
材料は買ってきてな。好きなモン好きなだけ買ってええから。オヤツも買って
きてええからね〜」
江崎さんは一方的に云いながら、僕の頭を撫でた。
「・・・・・・・・・・・はい」
僕は頷いて、財布を手に江崎の家を出るしかなかった。
中華にして、と云われたので好きだと云っていた餃子とかきたまスープに
チャーハンを作ることにした。
スープはもう鍋に出来ていて、餃子もフライパンの中で蒸し焼き中。
あとはチャーハンを作るだけだ。
僕はチャーハンにいれるネギを刻み終わって、フライパンの蓋を開け、中の餃子
の様子を見た。
急いで作った割りに、なかなかの出来映えだ。
「まこちゃーん。餃子出来た?」
台所に顔を出した江崎さんが子供みたいに聞いてきた。
よほど楽しみなのか、こう聞かれるのは4回目だ。
僕は思わず笑ってしまった。
「今、出来るトコです」
両手でフライパンを持ち上げて、濡らした布巾の上にじゅっとそこを付ける。
こうすると、キレイに餃子が剥がれて皮がパリッとなるのだ。
じゅっという音に、待ちきれなくなったのか江崎さんがまた台所にやってきた。
江崎さんは僕のすぐ後ろまで来て、フライパンの中をのぞき込む。
「わ、すげえ!お前上手だな〜」
感心したように云われて、僕はかなり嬉しくなった。
二人で食べた夕食は、ものすごく楽しかった。
江崎さんは話題が豊富で、いろんな話をしてくれたし、
あんまり話し上手とは言えない僕の話も楽しそうに聞いてくれて、
僕はすっかりリラックスしてしまった。
まるで、ずっと前から友達だったみたいに。
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