dark novelette

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□人研修

人、広い部屋の中に残されて、しばらくの間、僕は放心していた。
 急に寒気を覚えて我に返り、取り敢えずシャツを羽織る。なんだか一人になってみると、今までのことがまるで夢のような、随分昔のできことのような、そんな気がする。
 素肌にシャツを羽織っただけの格好で、僕は取り敢えず部屋を見て回ることにした。
 リビングだけで、家より広い。革製らしいソファセットと大きなテレビ。壁にいくつか掛けられた額縁。
 リビングの他には、さっき見た寝室と、書斎らしき部屋があった。机とパソコン。空っぽの書棚。
 さっきも思ったが、まるでホテルのように生活感のない部屋ばかりだった。
 広いバスルームとトイレ。物の無いキッチン。冷蔵庫の中を覗くと、ビールが入っていただけだった。
戸棚を開けて、コップを探す。薄く埃をかぶったコップをいくつか見つけて、流しで綺麗に洗い流し、水を汲んで飲んだ。
 まだ、飲まされた精液が喉に絡んでいる気がして気持ちが悪い。
ひどく喉が乾いていたせいもあって、がぶがぶと何倍も水を飲んだ。
 すっかり水腹になりながら、バスルームへ向かう。冷や汗やら脂汗やらをかいたせいで、なんだか身体が気持ち悪かった。
 タオルがあることを確認してから、シャワーを浴びる。
自分の家とは比べ物にならない広さと設備の良さに、落ち着かなさを感じながらも、やっぱり気持ちが良かった。
 すっきりした気分で、再びシャツを羽織り、寝室へ向かう。
ベッドの上に投げ出された箱の中身が気になっていた。
 部長は、コレで後ろを拡げろ、と言っていた。
思い出して、溜息をつく。
 あんなモノが、自分の中に入るとは信じがたかった。
口の中に入れるのさえ、やっとだったのだ。それを、あんな普段は堅く閉ざされている場所へ入れるだなんて、不可能に思える。
「…でも、やらなきゃ」
 僕は、自分に言い聞かせるように呟いた。
やらなければ、後悔するのはお前だ、と部長は言った。きっと、酷い目に遭わされるに違いない。 
どんなことをされるにせよ、苦痛はなるたけ避けたかった。
 ベッドの上に放り出された箱を、開けてみる。
「………」
 開けた途端、見ては行けないものを見てしまった気がして、僕は思わず蓋を閉じた。
「………」
 もう一度、おそるおそる開けてみる。
この箱の中には、主に男性器を模したモノがごちゃごちゃと入れられていた。
太さ大きさは様々で、スイッチやコードがついているもの、イボイボの物、シリコン製らしきもの…とバリエーション豊かだ。
 僕は、溜息をつきながら、他の箱も開けてみた。
いわゆるSMグッズなのか、拘束具や手錠、何種類かの鞭…が収められた箱や、その用途すら判明しかねるもの…巨大な数珠のようなボールが連なったものや、ハケのようなもの…の他に、コンドームやローションの類が入っている箱もあった。
 出てくるのは溜息ばかりだ。
やり方も分からない事を課題に残されるより、部長に手ずから施されたほうが良かったんじゃないかと思えてくる。
「何からすればいいんだ…」
 色とりどりの道具を前にして、僕は途方にくれて呟いた。
「どれから使えば…」
 手近にある道具に手を伸ばし掛けた時、ふと部長の言葉を思い出した。
「道具を使う前に洗浄しろ」
 たしか、そう言われた筈だ。
 浣腸をしろ、と言われたっけ。
 なんだか情けなくなりながら、クローゼットの中やバスルームの戸棚を漁る。
 結局それは、トイレの棚から見つかった。
箱の説明書きを読み、その通り実行する。
 いろいろ考えていると身体が動かなくなりそうで、僕は思考を停止して、ただもくもくと目の前の事をこなしていった。
 せっかくシャワーを浴びたのに、腹の中を空っぽにする頃には、汗だくになっていた。
おぼつかない足下で、バスルームに行き、苦労しながらなんとか中を洗浄する。
 寝室に戻った僕は、すっかり疲労困憊していた。今日は、あまりにもいろいろなことが起こりすぎた。
もう、身体と精神の許容範囲を超えている。僕は、思わずベッドの上に倒れ込んだ。
 卑猥な道具に囲まれて、目を閉じる。眠るつもりはなかったのに、全身が休息を要求したらしい。気づいた時には、僕は眠りに落ちていた。

「おい」  
揺り起こされた時、自分がどこにいるのか分からなかった。
「はい」  
慌てて起きあがったものの、ここがどこなのか、今いつなのか、全く分からない。
おまけに急に起きたせいで、心臓がバクバクなっていた。
「お前、誰?」
 顔を覗き込まれて、思わず唾を飲み込む。
 あなたこそ、誰なんですか…??
 目の前にいる男は、部長ではなく、全く知らない人だった。
「こ、紺野です」
 思い切り動揺しながら、なんとか自分の名前だけ言う。
ちらりと時計に目を遣ると、眠ったのはほんの一時間ほどだった。
「あ〜、もしかして新入社員?」
 実際のところ、新入社員と言って良い物かどうか少し悩んだが、僕は小さく頷いた。
「部長?それとも専務?…まさか会長じゃないよね?」
 訳知り顔で尋ねられて、取り敢えず部長です、と掠れた声で答える。  よく分からないが、今のところ自分に関係した人は、部長しか居なかったから。
 男は、ふぅん、と頷くと、ベッドに腰を下ろしてきた。
「いくつ?」
「もうすぐ十八です」
「若いね」  
何故か、頭を撫でられた。
くしゃくしゃと髪をかき混ぜられて、おそるおそる口を開く。
「あの…どなた、ですか?」
 ここを知っているのだから、会社の人だろうとは思うけれど、どういう人なのか気になる。
「あ、俺?」
 頷くと、その人は人なつこい顔で俺はね、と喋り始めた。
「俺は大滝。会長の愛人」
 にかり、と笑われて、はぁ…と曖昧に笑みを返す。
「この、会社の方ですか?」
 もしかして、この会社では新入社員を愛人にするのが当たり前なのだろうか?会長…ということは、一番トップの人間の筈だ。
聞いてみると、大滝という男は首を振った。
「いんや。俺はプロの男娼。会長は素人に手出さないから。部長はスレてない純情っこが好きなんだよね。大人しくてよく言うこと聞く」
「…はぁ」  
もう、何がなんだか分からなくて、ただ頷く。
「久しぶりに近く通ったからさ、寝ていこうかと思って来てみたら、エログッズにまみれて子どもが寝てんだもん。びびったよ」
 屈託無く笑うその人は、得体はしれなかったけれど、割と感じが良かった。
「この部屋…あなたの部屋なんですか?」
 会社か部長の持ち物かと思っていたので、心配になって聞いてみると、彼はそう、と頷いた。
「俺の部屋ってか、このマンションごと俺のなの。会長のものは俺のものだから」  
あっけらかんというその言葉が、嘘なのか本当なのか分からないが…
「僕、出ていった方が良いですよね」
 彼は寝に来た、と言っていた。
それなのに僕がベッドを占領してしまって…。
しかも、こんなに散らかして、裸同然の格好で…。
 だんだん恥ずかしくなってきて、僕は慌ててベッドから降りようとした。
「イヤ、良いよ。居ていい。いきなり来たのは俺だし」
「でも…」
 腕を掴まれて、僕はベッドから降りられなくなった。
「いいじゃん。俺、キミの事気に入ったし。何なら一緒に寝る?それともヤりたい?」
「え、や、あの…」
 どうして今日は、こうも予想外のことばかり起こるのだろう。
事態に付いていけずに、しどろもどろになっている僕の顔を覗き込み、大滝さんは屈託無く笑った。
「冗談だって。ホント可愛いね〜」
 もう一度、くしゃくしゃと髪を撫でられる。
僕は困り果てて、ただ黙っていた。
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