dark novelette

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  不幸較べ  

 公園を出ていく桐山くんの背中を見つめて、僕はため息をついた。
「あ…」
 肩に掛けられたジャケットに気づき、慌てて立ち上がったが、足早に去っていった彼の姿はもう見えない。
「学校で返そう」
 僕は小さく呟くと、ジャケットの前をきつく合わせて身震いした。
 桐山くん、優しかったな。
 学校ではほとんど話した事はないけど、クラスの中でいつも明るくて元気な彼の事を、僕は好ましく思っていた。
 でも、今日の彼は随分暗い顔をしていた。本人は、普段通りのつもりだったかもしれないけれど、瞳には隠しきれない陰があって…。何か、あったんだろうか?僕のことばかり心配してくれたけれど。
 僕は、汚れた靴下を見下ろした。
 無意識に、ため息が漏れる。
 八木さんは、まだ怒っているのだろうか。
 今日は、何が彼の気に障ったんだろう。それとも、理由なんかないのかも知れない。
 自分の存在そのものが、八木さんの気に入らないことは知っている。
 ずきりと痛む胸に、僕は目を閉じて項垂れた。
「帰ろう」
 口に出して言い、立ち上がる。
 家に入れて貰えるかどうかは分からないけれど…ここに居てもしょうがない。
 途端に、八木さんに会いたくてたまらなくなって、僕は思わず駆け出していた。
 走ればマンションまでは、五分と懸からない。 僕は、靴下履きの足が痛むのにも構わずに、アスファルトの道路を走り、息を切らしてマンションへと帰り着いた。
 エレベーターで五階まで上がり、一番端まで廊下を歩く。
 そっとドアノブを回すと、鍵はかかっていなかった。
「ただいま帰りました」
 小さな声で言いながら、玄関で靴下を脱ぐ。
 家の中はしんと静まりかえっていたけど、玄関には八木さんの靴があるから、彼は家に居るはずだった。
 足音を殺してリビングへ向かい、灯りの消えたそこを覗いて、八木さんの部屋に行く。
 ドアの前で、随分迷ってから、僕はそっとノックをした。返事がないのに怯みながらも、おそるおそるドアを開ける。
 散らかった部屋の中は薄暗かった。僕が、許可無くこの中に入ることは許されていない。
「八木さん」
 ベッドの上の膨らみに向かって声を掛けると、八木さんがけだるそうに上掛けから顔を出して、僕の方を見た。
「腹が減った」
 投げ出すように言われた一言に、すっかり嬉しくなる。
「すぐ、作りますから」
 僕は明るく返事をすると、静かにドアを閉めた。
 数時間ぶりの八木さんの声を、頭の中で反芻する。
 やっぱりこの人が好きだ、と心から思った。
 

 八木さんは母さんの弟で、初めて会ったのは僕の両親のお葬式での事だった。
 事故で僕は両親を亡くし、八木さんも唯一の肉親である母さんを亡くした。
 引き取り手のなかった僕を、八木さんは仕方なしに引き取ってはくれたけれど、八木さんは僕に出会う前から、僕の事が嫌いで、僕に対する憎しみは、母さんが死んだことによって、一層強まったようだった。
「俺はお前が嫌いだ」
 八木さんは、事あるごとに、僕の顔を見て、吐き捨てるように言った。
 けれど、僕は、八木さんを一目みた時から、好きになってしまっていて…。一緒に暮らし始めると共に、好きだという気持ちは強くなるばかりだった。
 嫌いだと言う言葉や、憎しみに満ちた視線は、悲しかったけれどそれでも無視されるよりは幸せだと思える程で、何をされても構わないから、ただ側に居たかった。
 同居して三ヶ月。学校から帰ってくると、珍しく八木さんがリビングで酒を飲んでいた。
 翻訳の仕事をしている彼は、ほとんど外に出かける事なく、一日中家にいて、部屋から出てくる事も稀だ。だから、会話を交わすことはおろか、顔さえ見られない日も、たびたびあった。
「八木さん」
 グラスを持ったまま、机に突っ伏している八木さんに、そっと声を掛ける。
 八木さんは、ゆっくりと身体を起こすと、僕の顔を見上げ、赤い目で睨み付けた。
 その目は、普段から睨まれるのには慣れている筈の僕でさえ思わず震えてしまうくらい、冷たく憎しみに満ちていて。
 身体を震わせたまま、じっと八木さんの顔を見つめ返すと、いきなりグラスの中の酒が、顔に向かって浴びせかけられた。
 避ける間もなく酒を浴び、びしょびしょになる。びっくりして口も利けないでいると、乱暴に腕を掴まれ、床へと引きずり倒された。 

 それからたびたび、八木さんは僕を抱いた。
彼はとても気まぐれで、強姦まがいに僕を殴りつけながら、乱暴に犯したかと思うと、別の日にはまるで恋人のように優しく抱いたりもした。
 手酷く扱われるのも、優しくされるのも、僕にとって大して変わりはなく、どっちもつらくてつらくてたまらないけど、泣きたくなるくらい嬉しかった。そこに愛は無いにせよ、抱かれてる間だけは、僕は八木さんの前に存在してる。
 それだけが、僕の幸せだった。


 用意した夕ご飯を、黙ったまま食べる八木さんを、僕は離れたソファに座って眺めていた。
 八木さんと僕は、一度も同じテーブルで食事をしたことがない。同じ家に居ても、八木さんは遠い人だった。
「…おい」
「はい」
 掛けられた言葉に、立ち上がって返事をする。
「俺は、風呂に入ってくる」
 八木さんは僕に向かって言うと、一旦言葉を切り、目を細めて僕を見た。
「抱いて欲しけりゃ準備しておけ。ケツ出して待ってんなら、犯してやるよ」
 吐き捨てるように言い捨てて部屋を出ていく八木さんの背中を見送りため息をつく。僕は、抱いて貰う準備をする為に、のろのろと立ち上がった。

「うぁ」
 後ろから一気に貫かれて、思わず呻くような声を上げる。
 八木さんは、僕の腰をがっしりと掴むと、より深くまで挿入した。
 お馴染みの痛みに低く喉が鳴り、無意識に手がシーツを掴む。
 八木さんが、ベッドで抱いてくれるのは珍しいことだった。セミダブルの大きなベッドは、八木さんの匂いに満ちていて、僕はそれだけで陶然となる。
 激しく突き上げに、いつしか苦痛が快感に取って代わられる。
「はぁっ、あぁっあ、あっ」
 快感に喘ぎながら、身を捩り、僕はねだるように尻を突きだした。この行為に、愛など微塵もないのだということは分かっているから、心は固く冷えているけど、それでもやっぱり好きな人に抱いて貰えるのは、嬉しくてそしてすごく気持ちがいい。八木さんに抱かれる時、僕はいつも身体だけになる。そうしないと、冷たい心と熱い身体の狭間で、どうしたらいいのか分からなくなるから。
 イきそうだ、と思った時、八木さんの手が、ぎゅっと僕の前を掴んだ。勃ちきったモノを強い手で握り込まれて、思わず悲鳴を上げる。
 途端に、身体の奥に熱い迸りが流し込まれた。
「あぁ、あ…」
 緩んだ手元に、中途半端に溢れ出した白濁が、八木さんの手を濡らす。
 繋がったまま、強引に体位が変えられる。放っても未だ硬度を保ったモノに内壁をぐるりと抉られて、僕は身体を震わせた。
「…八木さん」
 じっと僕を見下ろす無表情な顔を見上げ、揺れる声で呼びかける。八木さんは、それに答えてはくれなかった。
「八木さん」
 どうしてこんなに、この人が好きなんだろう?いくら考えても、どうしても分からない。
ただ、好きで、どうしようもなく好きで、こうして抱かれていると、涙が止まらなくなる程で。
 身体に掛かる体重が、自分の足を掴む手が、体内を穿つ熱い肉が、全てが愛しい。
 身体を二つ折りにされ、上からのし掛かるようにして犯されながら、僕は淫らに喘ぎ続けた。
 明け方近くまで抱かれて、泥のように眠りにつく。目を覚ますと、僕はいつの間にか部屋を追い出されていて、みのむしのようにシーツにくるまり、廊下に転がっていた。八木さんの部屋のドアは、固く閉ざされていて、中からは物音一つしない。
 身体を包む寒さにぶるりと震えると、僕はのろのろと起きあがった。身体中が痛む。こんなことすら、初めてではなかったけれど、やっぱりどっぷり気分が落ち込む。なんだか無性にさみしくなって、僕はシャワーを浴びて着替えると、公園に行くことにした。家に居るのがいたたまれない時、追い出された時、、淋しい時は、よく公園に行く。そこしか僕には行けるところがないから。
 
 いつものベンチに向かうと、そこには先客が居た。 
「桐山くん?」
 昨日とは逆のシチュエーション。僕の声に、桐山くんははっと顔を上げて僕の顔を見た。
「大、丈夫?」
 思わずそう聞いてしまうほど、彼の顔は青ざめていて。強張った顔で、大丈夫だと呟く声は掠れていて、ちっとも大丈夫そうじゃない。
「何か、あったの?」
 立ったまま、顔を覗き込むようにして問いかけると、桐山くんは黙ったまま首を振り項垂れた。がっくりと落とされた肩が、なんだか痛々しい。
「桐山くん」
 僕は、腕を伸ばすと、そっと彼の頭を胸に抱き寄せた。大人しく預けられる体重。
 不意に小さく肩が震え、聞き取れない程の微かな嗚咽が漏れ聞こえてきた。
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