ナオさんと別れる事になった。
といっても、たった五日間足らずの事で、ナオさんは毎日メールも電話もしてくれる、と何度も約束してくれたけれど、
僕はやっぱりさみしくて、見送った駅で別れる時には、泣きそうになっていた。
だって、折角の夏休みなのに。
しかも、あと十日で終わりなのに。
ナオさんと、ずっと一緒に居られる筈の夏休みに、五日間も離れてるなんて。
行かないで、なんて我が儘は言わなかったけれど、言葉で言わなくったって、ナオさんには十分伝わっていた。
「ほんとにゴメンね」
僕をぎゅっと抱きしめて、ナオさんが済まなさそうに言う。
「ううん」
ナオさんの身体に腕を回して、僕は小さく首を振った。
思い切りナオさんの匂いを吸い込んでから、顔をあげる。
「合宿、頑張ってね」
やっとの思いでにっこり笑ってこう言うと、ナオさんもやっと困った顔をひっこめて、僕の額にキスしてくれた。
「電話する」
「うん」
「メールも」
「うん」
「手紙も書いちゃう」
「うん」
僕はうんうん頷いて、それからよいしょとナオさんの身体を押した。
「もう、大丈夫だから、行って」
駅に来てから、もう三十分もぐずぐずしてる。
僕の腕の長さの分だけ、ナオさんは離れると、うんと優しく笑って僕を見つめた。
「行って来るね」
言葉で言って、目で伝える。
「大好きだよ」って。
それを笑って受け止めて、僕は小さく手を振った。
「行ってらっしゃい」
そして、伝える。
「僕もだよ」って。
何度も振り返りながら、小さくなっていくナオさんに、ずっと手を振り続ける。
ナオさんが階段の下に消えた時、僕はがっくり肩を落とした。
姿が見えなくなった途端、やっぱり泣きそうになる。
長い五日間になりそうだなあ。
僕はしょぼしょぼと家路についた。
立った今別れたばかりなのに、もうこんなにも恋しい。


こんなにも、時の流れがのろいだなんて…
二日目の夜、僕はしみじみとため息をついて、読みかけの本を机に伏せた。
ついてすぐと、その日の夜、ナオさんは電話をしてくれたけれど、ナオさんはひどく忙しそうで、夜の電話の最後に、僕は電話はしないでいい、とナオさんに告げた。
「僕、まこちゃんの声が聞きたいんやけど」
ナオさんは少し不満そうに言ったけど、その声にきっとナオさんも自覚していない安堵が隠れていることを、僕はなんとなくかぎ取っていた。
ナオさんが行っているのは、ゼミの中でも選ばれた人だけが参加することのできる、数学の合宿で、「ものすごくハード」なんだとナオさんは言っていた。
「去年も行ったんやけど、五日間結局布団では寝なかった」というくらいだから、きっと僕の想像を
越えるハードさなんだろうと思う。
ナオさんが僕の声が聞きたいというのは、紛れもない本心だろうし、僕とのおしゃべりが少しは気分転換になるのかもしれない。
けれどやっぱり、忙しい中で僕に電話するのを忘れずにいることは、ナオさんにとって負担に
なる筈。
だから僕は、なるべく明るくナオさんに言った。
「メールもね、しなくていいよ。うんとうーんとナオさんを我慢して、帰ってきてからいっぱいナオさんに甘えるんだ。声だけの電話も、文字だけのメールも、余計にさみしくなっちゃうから。ね?」
僕の台詞に、ナオさんはちょっと唸って、それからうん、と返事をした。
「僕、そんなにまこちゃん断ちできやんかも」
真剣な声でナオさんが言う。
「禁断症状が出て、宿の犬を襲うかもしれやん」
「宿の犬って?」
「可愛いしばの看板犬が居るんやけど、まこちゃんに似てるんやよね。ちょっと首を傾げて僕を見る時とか」
あくまでも、真面目なナオさんの声に、僕は思わず吹き出して、それから厳しめの声で言った。
「浮気はダメだからね」
ナオさんが、低い声で笑う。
耳の奥に残る余韻に、背筋がぞくぞくした。
「五日後が、楽しみやね」
囁くようにナオさんが言う。
「我慢した後のごちそうほど、イイものはないからね」
こういう時のナオさんの声はたまらない。
僕は、慌てておやすみを言い、電話を切った。
それからずっと、どきどきしてる。
ともすれば、ナオさんの声がよみがえり、僕はいつのまにか、五日後の事を妄想していた。
うんとみだらな、はずかしいことを。
五日後のキスを、抱きしめてくれる強い腕を、僕に触れる指先を、そして、そして…。
ふと我に返り、僕は深くため息をついた。
本の続きに取り掛かることにする。
きっとナオさんは、ちらりとも僕の事など考えずに、数学に没頭しているのだろう。
「一時間に一問解くのがやっと」な課題を山ほど与えられて、苦しみつつも楽しんでいるに
違いない。
真剣に問題に取り組んでいる時のナオさんの横顔を思い出す。
ひっきりなしに耳たぶを触りながら、時折眉間に皺を寄せて。
笑顔のナオさんが好きだけど、滅多に見られないこの渋面(とはいえ、目は輝いている)も、すごくセクシーだ。
僕はもう一度我に返ると、諦めて本を閉じた。
頭の中は、ナオさんでいっぱいで、活字の入る余地がない。





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