バレンタインデーが近づいてきて、なんとなく学校の中が浮き足立っている感じがする。
勿論、学校にチョコを持ってくることは一応禁止になってるのだけど、この日ばかりは先生も大目に見てくれるから(男の先生は、自分も貰えるからだと思うけど)、毎年バレンタインはにぎやかだ。

僕は去年、5つ貰って、一つあげた。
5つのうち一つはお母さんに、一つはいとこに、三つは学校で貰った。
あげた一つは、ナオさんにで、チョコレートではなくて、マフラーを編んだ。
ナオさんも、毎年チョコを貰うらしく、去年は9つ貰っていた。
お互いの為に、「本命チョコは受け取らない」って二人で決めておいたので、ナオさんは九つ全部、お返し目当ての義理チョコだ、と言って笑っていたけど、僕は内心、本命チョコもまざってるんじゃないかって冷や冷やした。
だって中には、かなり高級そうなチョコもあったし、手作りのもあった。
本命でも、義理ですって渡されたら、ナオさんは笑って受け取っちゃいそうだもんなあ。
包装紙を散らかしながら、のんきにチョコを食べているナオさんを横目で見て、僕は小さく溜息をついたものだけど、結局僕の取り越し苦労だったみたいだ。
バレンタインデー以降、チョコをくれた女の子がナオさんに言い寄ってくるような事は無く、一ヶ月後のホワイトデーにナオさんはそれぞれ女の子達に欲しい物を聞いてあげたらしい。
「先輩三人は、ケーキバイキングに連れてって、ゼミの子達には、お揃いのストラップあげて、一人はレポート手伝って、あとはなんだっけ…あぁ、宝くじ欲しいって言われて宝くじ買ったんだった」
ホワイトデーの次の日、ナオさんは大変だった!と肩をぐりぐり回して言った。
「ナオさん、マメだねえ」
僕も勿論お返しをあげたけれど、四人とも同じ、お母さんが見繕ってくれたクッキーとキャンディーの詰め合わせだし。
「ま、年に一度の事やしね」
ナオさんは片目をつぶってみせる。

「さて。一日おくれになったけど、まこちゃんは何が欲しい?」
唐突にナオさんにこう聞かれて、何も考えてなかった僕は、ちょっと考え込んだ。
「なーんでもイイよ。まこちゃんの欲しい物、して欲しいこと、ぜーんぶゆってみ?」
ナオさんは楽しそうな顔をしている。
いろいろ考えてみたけれど、結局これしか思いつかなかった。
「じゃあ…、どこかに連れてって!」
「よしきた!」
ナオさんは、笑って請け負うと、僕の編んだマフラーを首に巻いて立ち上がった。
「さ、行くよ!」
目の前に手が差し出される。
どこかに連れて行けといったのは僕だけど、なにも今すぐというつもりで言ったつもりは無かったから、僕は面食らいながら、ナオさんに手を引かれるまま家を出た。
いつのまにか、ナオさんの手には大きなバッグが握られている。
「え、え、どこ行くの?」
「イイとこ!」
ナオさんは笑って答えると、手をあげてタクシーを止めた。


「ねえ。僕がどこか行きたいって言うの分かってたの?」
「まこちゃんの事は全部お見通し〜」
温かなタクシーの中で、僕とナオさんは肩を並べてシートに凭れていた。
「これから、どこ行くの?」
「温泉!」
温泉!?
僕はびっくりして、シートから身を乗り出した。
「もしかして泊まりで?」
「そう。明日お休みでしょ?」
ナオさんはあっさり頷く。
そう…って、たしかに明日は土曜日で学校は休みだけど…
「僕、なんにも用意してきてない!」
用意どころか、かばんも置いて来ちゃったから、お財布も無い。
ひとり慌てる僕を後目に、ナオさんはいたってのんびりと僕の肩を抱いた。
「まあまあ、落ち着いて」
きゅっと肩を抱かれると、なんとなく落ち着いてしまう。
僕は、ナオさんにちょっと凭れると、ナオさんの顔を見上げた。
「泊まりの用意は僕がかーんぺきにしてきたから」
ナオさんはどん、と胸を叩く。
「あ、まこちゃんのお母さんにはお伝えしてあるから、安心してね」
ナオさんは手抜かりが無い。
僕はやっと少し安心した。


初めて二人で乗ったタクシーは思いの外楽しくて、僕とナオさんはずっと手を繋いで話していた。
あんまりくっついていたせいか、降り際に、仲が良いねぇなんて運転手さんに冷やかされて、少し気恥ずかしかったけれど、ナオさんは嬉しそうな顔をしていた。
2時間程で着いた場所は、静かな温泉街で夕闇の中にぷんと硫黄の匂いがする。
外湯があるのか、時折浴衣姿の人とすれ違う。
のんびりとみやげ物屋を冷やかしながら町中を歩いて、ナオさんは僕を町はずれの大きな旅館に連れてってくれた。
こんな旅館に泊まるのは初めてだったから、僕は少し緊張しながら、部屋に案内してくれる仲居さんにナオさんと共に付いていく。
通された部屋は、庭に面した綺麗な部屋で、落ち着いた雰囲気の和室だった。
「なかなか良い部屋やね〜」
ナオさんは部屋中をチェックしながら、嬉しそうに僕を振り返る。
「なんか、どきどきする」
ついさっきまで、ナオさんの家に居たのに、今はもうこんなトコに居る。
なんだか、あんまり展開が早くて、都合の良い夢みたい。
僕は、うでを伸ばしてナオさんに抱きついた。
「僕はなんか、わくわくする」
僕をぎゅっと抱き留めて、ナオさんが笑う。
僕は、ナオさんの胸から顔をあげると、目の前にぶら下がっている深い赤のマフラーを摘み上げた。
「コレのお返しが、ココだなんて」
太めの毛糸でざくざく編んだ、長いマフラー。
ナオさんは、すごく喜んでくれて、大分暖かくなった今でも、毎日のように巻いている。
「びっくりした?」
僕は、子どもみたいにいたずらっぽい顔をしているナオさんのマフラーを引っ張ると、うんと自分に引き寄せてちゅっと唇にキスをした。
「びっくりした!」


「露天風呂に入りに行こう!」
ナオさんの言葉に、ナオさんがぶら下げてきたかばんを開けると、中には、僕とナオさんの下着とTシャツが、無造作に突っ込まれていて、中身はそれだけしか無かった。
「タオル…とかは?」
「ココにあるって」
たしかに、旅館には浴衣も洗面用具もタオルも全部揃ってる。
「…ハンカチとか」
「それは忘れた。ハンカチなんて、僕持たんも」
ナオさんがわははと笑う。
まあ、ナオさんが荷造りしたって聞いた時点で、予想はしていたことだけど…
「ハンカチ要った?」
「別にイイ」
ちょっと心配そうに顔を覗き込んでくるナオさんに、僕は笑って抱きついた。
「なんか、なんかね、すごく嬉しい」
あのナオさんが、(たとえ下着とTシャツを突っ込むだけにしても)、僕の為に荷造りをしてくれただなんて。
「まこちゃんが嬉しいなら、僕も嬉しい」
抱きついた僕に、ナオさんがすりすりと頬を寄せる。
「くふふふふ」
あんまり幸せで、思わず笑いがこみあげてくる。
ナオさんと額と額をくっつけて、顔を見合わせながら、僕は半分とろけそうに幸せだった。

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