「ねえ、ナオさん。散歩にいこ」

 僕が誘うと、ナオさんは読んでいた本から顔を上げて、ちょっとびっくりしたように僕を見た。
「だって、雨やよ」
 ナオさんがびっくりするのも無理はない。
 僕はほんの数分前、急な雨に降られてびしょぬれでここにやってきたばかりだった。
 僕の肩には、濡れた髪や身体を拭って湿ったタオルがかかったままだ。
「雨だけど…、ナオさんと外に行きたい気分なんだ」
 僕が言うと、ナオさんは「ヘンなまこちゃん」と笑って、それでも本に栞を挟んでくれた。


「どこいきたいの?」
 狭い玄関で、ビーチサンダルに足をつっこみながら、ナオさんが振り返る。
「どこでもいい。ちょっと、ぶらぶらしたいな」
 僕は嬉しくて、ナオさんをせかすように、後ろからナオさんの肩を押して家を出た。

「こりゃあ、梅雨入りしたね」
 ビニール傘を開きながらナオさんがいい、僕はナオさんの腕に腕を絡ませて、傘の中に入った。
 じんめりと湿気を含んだ空気が、肌にまとわりつく。
 ただでさえ蒸し暑いのに、体温の高いナオさんにくっついてると、額に汗がにじんでくるのが分かる。
 けれど、それでも楽しかった。
 広い空の下にいても、一つ傘の中にいると、二人だけの世界って気がする。
 六月半ばの、土曜日の午後。
 どんよりと重い灰色の雲が、垂れ下がるように空いちめんを覆っていて、そこからざあざあと強めの雨が降っていた。
 こんな日に、好んで外に出るひとはいないらしく、全く人通りがないから、人目を気にせずナオさんに思う存分くっついていられる。
 ナオさんは、のんびりと歩きながら、あれこれおしゃべりをしてくれた。
 時々ナオさんを見上げると、ナオさんが明るい笑顔で見つめ返してくれる。
 僕はしみじみ幸せで、信号待ちで立ち止まったナオさんの肩に、そっと頭を持たせ掛けた。
 こんな不快指数がうなぎのぼりの雨の日でも、誘えば散歩に出てくれる人が、僕の恋人で良かったと思う。
 暑くっても、歩きにくくっても、傘からはみ出た肩が濡れても、ちっともいやがったりしないで、僕とぴったりくっついてくれて、僕の事を「大好きだよ」って目で見つめてくれる人が、僕の恋人でよかった。
 まだ、家を出て数分しか経っていないのに、僕はすっかり満足していた。


 途中、公園の横を通りかかった。
「寄ってく?」
 親指で公園を指してナオさんがいい、「いくいく!」と僕は頷いた。
 雨の公園は誰もいない。
「あっこで雨宿りしよ」
 公園の真ん中に、石造りのおっきな滑り台があって、下がトンネルみたいになっている。
 僕らは、中腰になってその中に潜り込むと、乾いているけど砂っぽい地面に腰を下ろした。
「なんだか、遭難したみたい」
 体操座りでくっついて、二人で雨が降るのを眺める。
 公園のすみっこに、淡いブルーのアジサイが咲いていた。
「梅雨のうちにさあ、どこかに紫陽花見に行かん?いっぱい咲いてるとこあったよねえ。僕、紫陽花けっこうスキなんやよね。いろんな色があって綺麗やから」
「うん、いこう」
 ナオさんが、あじさい好きだなんて知らなかった。
 また一つ、ナオさんの事を知っちゃった。
 僕はなんだか嬉しくなる。
「さ、これからどうする?」
「どうって?」
「公園出て、右にちょっと行くと、ファミレス。左にだいぶ行くとホテル。どっちで休憩したい?」
 真顔で聞かれて、思わず吹き出してしまう。
「どっちでもいいけど、ナオさんお金持ってるの?」
 僕は手ぶらで、ポケットには鍵しか入ってない。
「オトナだからね」
 そういって、ナオさんはごそごそとジーンズの尻ポケットを漁り、くしゃくしゃのお札を出して見せた。
「いーち、にぃ、と三千。二万三千円ある」
 どこか自慢げな声に、僕は笑って、ナオさんの首にぶら下がるようにして、ナオさんの耳に顔を寄せる。
「じゃあ、左で」
「フフ。オトナだね」
 ナオさんは、首を竦めるようにして笑うと、きゅっと僕の腰を抱き寄せた。
「そうと決まったら、早くいこ!」



 こんな天気なのに、というよりむしろこんな天気だからなのか、週末の午後のホテルはけっこう混んでいた。
 いつもなら、二人であれこれ部屋を選ぶけれど、今日はあんまり選択の余地がなかったから、ナオさんが適当に選ぶ。
 エレベーターに乗って、部屋に行くまで、僕たちはずっと手をつないでいた。
「ホテル、久しぶりだね」
「うん。一緒にお風呂はいろ!」
 ナオさんちのお風呂は狭くて二人で入れないから、二人で入るお風呂は、ホテルならではの楽しみだ。
 わくわくしながら、部屋の中に入った僕は、腰を抜かしそうになった。
「なにこれっ」
「わーお。壮観やね」
 部屋一面、鏡、鏡、鏡。
 あっちにもこっちにも、びっくり顔の僕と、にやけ面のナオさんがいる。
「とりあえず、お風呂、お風呂っ」
 ナオさんは、上機嫌でいいながら、僕のシャツをひっぱて脱がした。
 鏡張りの部屋の衝撃から立ち直れないでいる僕を、あっと言う間に裸にすると、自分も服を脱ぎ捨てる。
「こーしてみると、結構体格違うねえ」
 目の前の鏡を見て、ナオさんがしみじみといった。
 たしかに、僕の身体は、ナオさんと較べると、どこもかしこも一回りは小さい。
「ナオさん、ちょびっと痩せた?」
「もうすぐ夏だからね」
 ナオさんは、秋から冬にかけては少し太り、逆に夏が近づくと痩せていく。
 別に、意識してるわけじゃなくて、勝手になるんだ、と言っていたが、僕は今ぐらいの時期の、がっしりした体格の上に、薄く脂肪が乗っている状態が一番好きだ。
 そう思いながら、じっと鏡越しにナオさんの身体を観察してると、自分の身体の一部がぴくりと反応してしまった。
「ナオさん、も、お風呂いこ」
 あわてて鏡から身体を隠すようにして、ナオさんをお風呂へ押しやる。
 ぴんく色のタイルが可愛らしいお風呂で、僕らはお互いに、髪と身体を洗いっこした。
 僕はナオさんの身体を、ナオさんは僕の身体を、すみずみまでくまなく洗って、互いにゆるく勃ちあがったものを隠そうともせずに、いっせーので向かい合って湯船に浸かる。
「気持ちいいー」
「ほんまやねー」
 二人で入るお風呂は格別に気持ちがよくて、僕は両手を湯船の縁にかけると、天井を見上げた。
 ナオさんの手が、僕の足をマッサージするように弄り、いたずらなナオさんの足が僕の胸元をくすぐる。
 思わず身を捩って笑うと、ナオさんが身体を起こしてぎゅっと僕を胸の中に抱きしめた。
「まこちゃんカワイイ」
 頭を何度も撫でられて、キスの雨が降る。
「ナオさん、ナオさん」
 僕は、ナオさんの首に両手を回すと、今度は自分からキスの雨のお返しをした。
 嬉しそうに笑うナオさんは、すごく素敵で、ドキドキが止まらない。
「あれ、まこちゃん顔がまっか」
 顔を覗き込んで言うナオさんを見つめ、僕は照れ笑いを返して言った。
「のぼせた」
「お、そりゃイカン。出よう」
 立ち上がりかけるナオさんを押しとどめて、その耳に囁く。
「ナオさんに」
「もー、そんな可愛いこと言うと、くっちゃうぞ」
 がおー、と言いながら襲いかかってくるナオさんを笑ってかわして、こっちから抱きつくと、えいやっと抱き上げられる。
「ベッドでゆっくりいただこう」
 にやり、と不敵な笑みを浮かべるナオさんに、僕はまたのぼせそうになった。


 一応、タオルは被せられたものの、ほとんどびしょしょのまま、僕はベッドに下ろされた。
 すぐに覆い被さってきたナオさんの身体も、まだ濡れたままだ。
「ひゃっ」
 ぺろっと首筋を舐められて、思わずヘンな声が出た。
 それが面白かったのか、ナオさんが低く笑って、僕の身体についた雫を舐め取るように、あちこちに唇を寄せる。
 温かくてぬめる舌は、くすぐったくて気持ちよくて、僕はナオさんの頭を抱えるようにして、ため息を漏らした。
 ナオさんが、顔を動かす度に、ナオさんの身体からも水滴が落ちてくるから、ナオさんの舌はいつまでたっても止まらない。
 これ以上舐められていたら、どうにかなってしまいそうで、僕はやっとの思いで身体を起こすと、「交替」とナオさんを横にした。
 自分がされたのと同じように、ナオさんの身体も舐めていく。
 明るいホテルの照明の下で見るナオさんの身体は、いつもナオさんの家で見るのとは、ちょびっと違って見えて、僕はあらためてじっくりと観察した。
 首はそんなに太くないけど、肩はがっしりしている。
 固い胸元に耳をくっつけて、力強い心臓の音を聞くと、僕はいつでも安心した。
 これを聞いていると、眠たくなってしまうから、顔をあげてちょっと柔らかいお腹にぽちゃぽちゃと唇をつける。
「ねーまこちゃん」
 ナオさんの身体で遊んでいると、頭の上から声がした。
「今日、どんな体位でする?」
「え?」
 意外な質問に顔をあげると、ナオさんはよいしょと起き上がって部屋をぐるりと見回した。
「だって、せっかくこんな部屋だし」
「う…」
 ナオさんに夢中で忘れていたけど、周りを見れば、裸で絡む僕とナオさんだらけだ。
「今も、かわいいまこちゃんのお尻、見たい放題」
 僕の背後を指さすナオさんに、僕は今更赤くなった。
 



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